しょうもないプライド その1 ~見栄と理想~


以前の記事 (正直に「わからなかった」と言えない その1"と”正直に「わからなかった」と言えない その2)でも書いたように、


とにかく私は恥をかきたくない人間だった( ゚Д゚)


英語におけるこの「どうしても恥をかきたくない」思考と妙なプライドの高さは、私の場合もはや病気ともいえるレベル。

ただ私はもともとプライドなんて皆無な恥知らず人間だった。

中高時代の成績は下位10%くらいを常にキープ(笑)してたし、勉強しないし出来ないキャラとして通ってた。

部活もろくに出てないから当然スポーツもダメだし、要は色んなことが周りの平均以下だった。

だけどそれに対して劣等感を感じるとか落ち込むとかってことはまったくなかったんだよね。

むしろこのダメ人間ぷりこそ私らしいくらいに思ってて、プライドのプの字もない怠け者のぐうたら学生だった。

英語とプライドと見栄


こんな私がことに英語となるとどうしてこんなに自分を良く見せようとしてしまうのか。

「出来ない自分」を他人に見せることが恥ずかしくて怖くなってしまうのか。

よくわからなかった。

たぶん、この何も無い人間だった私が唯一真剣にがんばって続けてきたのがこの英語だったからだろう。

長い年月をかけて取り組んできたことだから、「出来てなきゃダメ」「出来てて当然」っていうプレッシャーをがっつりと自分にかけてしまってるんだと思う。

正直、今もそう。

英語の勉強を始めた当初はこんな気持ち一切なかった。

そりゃそうだ。初心者は出来てなくて当たり前だからね。

それが徐々に英語が上達してきて少しづつレベルが上がっていくと、プライドとか見栄とかが段々出てくる。


「自分の英語はまだまだ」って心の底ではわかってるのにそれを他人に見せたくないと思ってしまう。


本来、英語に限らず何かを習得しようとしたら失敗して恥をかいて学んでいくことこそ大事じゃないか。

そういうのを嫌がって避けてたら、上達なんてしないよね。

こういう人間は、伸びない。

こうやって客観的に自分を評価できるようになっただけまだましか。

まさかTOEIC受験をきっかけに自分がここまで英語にどっぷりな人生になるとは思いもしなかったよ(笑)。

理想の「英語できる人」


私が当時思い描いていた理想の「英語できる人」っていうのは、「話せて聞ける人」のことだった。
読めて書けるっていうのももちろん大事だし、特に「綺麗な英語を書ける」っていうのは今の自分の目標の一つでもある。

でも当時の自分がなりたいと思っていた姿は、ネイティブとストレスなくペラペラとコミュニケーションを取れる人。

簡単なスモールトークだけじゃなくてちゃんと深い話が出来る状態。

そしてネイティブのような綺麗な発音(ここ大事!)。


こんな上級レベルが自分の理想像であったが故に、私は色々と失敗を犯す。


続きはまた次の記事で。

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