私の「綺麗な発音でなめらかに話したい」という思いは、英語の勉強を始めた当初から割と強かったように思う。
もともとは、ただTOEICで良いスコアをとるってのが目標で英語の勉強始めただけだったんだけどね。
徐々に理想のなりたい自分が出来ていった。
ひたすら発音練習
その理想に近づくために発音練習はかなりきっちりとやった。中高時代は大っ嫌いで見向きもしなかった発音記号ってやつも時間をかけて学んだ。
発音の練習をするにあたり、日常会話でよく使われるフレーズとか自己紹介、自分に関することについての文章は紙に書きだして何度も何度も繰り返し音読して練習した。
たぶん中には何百回と繰り返し読んだ文章もあったと思う。
音読をするってこと自体はすごくよかったと思う。
スピーキングだけじゃなくてリスニングの上達にも効果があったし。
何度も練習したかいがあって、発音もそこそこ綺麗になった。
頻繁に口にするような文章はかなり早いスピードですらすら言えるようになっていった。
虚構の「英語できる人」
私にとってはこれがあんまり良くなかったんだよな。
『そこそこきれいな発音+淀みなく喋れるスピード(ただし私の場合は暗記してた限られたフレーズのみ)』って、
一見すごい英語できる人みたいに見えるんだよね・・・。
当然、レベル高い人と深い話をすると実際の実力がバレる程度の偽りの実力なんだけど。
英語話せる人風
には見えてたと思う。
守りたいイメージ
つまり本来は無い実力が見抜かれることがなかった。
それでも年下の英語初級者の子とかが、
「どうやったらそんなに話せるようになるんですか」
「そうなりたいなぁ」
とかありがたい言葉をかけてくれた時は当然うれしかった。
その上先生にまで褒められたりするといよいよ「できる人」みたいな像が勝手に出来上がってってしまう。
もう一度言う。
本当はそんな実力無いんだぜ・・・。(;´Д`)
でも、発音てすごく大事なんだと思う。
私もきれいな発音への思い入れが強くて相当練習した方だけど、発音がきれいなだけで「できる人」に見えるもんな。
とにかくそういう「できる人」ポジションになってしまうと、
そのイメージを崩してはならぬ・・・いや崩したくない!
と勝手に自分にプレッシャーをかけてしまう。
何のイメージだよ、芸能人じゃあるめーしなんていう冷静なつっこみはもはや聞こえない。
もう「出来ない自分」を見せられない
わからなくてもわからないとは言えないし、言わない。
「スピーキングが得意な自分」を崩さないためにいよいよ相手の話をろくに聞かず自分が何を言うかにだけ集中する。
あげくの果てに、英会話スクールで絶対に予習はするなと言われていた課題を毎回予習していくという徹底ぶり(笑)。
私は予習してくるから、先生の言うことをちゃんと守って予習してこない人よりも当然出来が良い。
そして褒められる。
一度、自分は何をしにここにきてるんだろう(. .)
とさすがに虚しくなり予習をしないで当日に課題に挑んだこともある。
そしたら全然できなかった(笑)。
この時、「めっちゃ恥かいた」って思った。
できなかった=恥をかいたって思ってるのは自分だけだっつうのにそのことに気づかない。
こんな恥をかくなら、とやっぱり予習をして行く。
ウン十万とかけて行ったスクール、留学先でいっつもこんな感じだった。
これだけの大金をかけて、私は一体全体誰のために何のために英語学習の場に行っているんだろう。
こんな自分を変えたい・・・
と思って意識し始めたある行動が私には思いのほかすごく効果があった。
それについては次の記事で語る。
いつも面白いブログを楽しみにしています!
返信削除プライドが勉強につながっていたのなら素晴らしいことですよ~。
私も英語学習ブログを書いているので、参考にさせて頂てます。
123太郎様、コメントを頂きどうもありがとうございます!
削除お返事が遅れてしまい申し訳ありません。
こんなブログを面白いと言っていただきとてもうれしいです。ありがとうございます(^^)
結果的にはプライドがあったから勉強につながったのかもしれませんね。
123太郎様も英語学習をされているとのこと、お互い頑張りましょうね(^^)